バザールとクラブ(サイン本)

朱 喜哲(チュ ヒチョル)(著/文 | 編集)
発行:よはく舎
四六判 縦188mm 横128mm 厚さ3mm
60ページ 並製

ローティの論稿「エスノセントリズムについて クリフォード・ギアツへの応答」を「バザールとクラブ」という視点を中心に朱喜哲が解説。

目次

 
バザールとクラブ 朱 喜哲

 
エスノセントリズムについて
 
クリフォード・ギアツへの応答
 リチャード・ローティ

 
あとがきにかえて 朱 喜哲

前書きなど
ある一日を想像してみてほしい。

****
 
あなたは、広大なバザール(市場)でお店を開いて生計を立てている。そこは、老若男女を問わず人種も民族も宗教も異なる無数の人々が行き交う活気に満ちた場。いたるところで、多様な人々が丁々発止のやりとりをして商談を成立させたり、させなかったりしている。
 お店にとって客は選べない。友だちが来てくれたり、はじめての客と意気投合することもあるが、ろくでもない客もひっきりなしに来る。珍妙な服装をしていたり言葉が片言だったりするのはまだいい。ことあるごとにいかがわしい宗教の決まり文句を連呼するし、どこの育ちか知らないがマナーも悪い。何より、とにかくありえない値切り交渉をふっかけてくる。こんな連中と心の底からわかりあうことなどありえない。
 しかし、客は客だ。今日はなじみの客も少ないし、売上がまったく足りていない。精いっぱい愛想笑いを浮かべて、追従することにしよう。値切りだって、閉店間際ならちょっとは応じてやってもいい。せめて家賃分は稼がないと、こっちもやっていけないのだ。
 ……それにしても、今日はつかれた。作り笑いで顔が引きつるし、とにかくストレスのたまる一日だった。しかしまぁみごとに腹立たしい客ばかりだったが、それだって売上は売上だ。いつもの店にでも寄って、一杯やってから帰ろうじゃないか。あの店はいい。あそこは会員制のクラブみたいなもんだし、自分と似たような連中しかいないからな。あそこなら今日の愚痴だって気軽に言える。市場で言うと怒らせちゃうようなやつもな。そうだ、昼間見かけたあの珍妙な客、あいつをネタに一席打ってやろう。あの××め。おっとこれは店に入ってからじゃないとな……。まったく、あの店があるから明日もやっていけるよ。
****
 この「バザールとクラブ」の挿話は、哲学者リチャード・ローティ(Richard Rorty, 1931-2007)の代表的な主張「公共的なものと私的なものの区別」を論じる際、必ずといってよいほど参照されるものである。オリジナル版よりもさらに想像の翼を広げて描写しているが、ここでは公共的空間としての「バザール」と、私的な空間としての「クラブ」が対比されている。生活のために「バザール」で生きていかざるをえないわたしたちにとって、一日を終えて退避できるような「クラブ」もまた必要なのだ。
 このメタファーが秀逸なのは、公共空間としての「バザール」のしんどさ、そして私的空間としての「クラブ」の危うさが、ともに描き出されていることだろう。みんなが公共的な言動をしなければならない場所というのは、だからこそ安全ではあるのだが、しかし個々人にとってはときに疲れてしまうものでもある。逆に、それぞれの人が安心して引きこもり、気心の知れた仲間たちと自由な言動ができるような場所とは、もしかすると他所の人が聞いたならばぎょっとするような発言が飛び出したり、偏見や差別の温床になってしまうような場かもしれない。わたしたちは生活のための「バザール」も、そしてそれぞれの人にとって安心できる、それぞれの「クラブ」も、どちらも必要で、しかもそれは別々に分かれていなければならないのである。
 ただひとつの「公共空間」であるバザールと、それをとりまく無数の「私的空間」としての会員制クラブとが地続きに隣接している―という、この空間的・地理的なメタファーはローティが思い描いている政治哲学的な構想をうまく描出している。そのため、ローティを紹介する際によく言及されるので、聞き覚えがある方もいるかもしれない。しかし、じつはこの比喩が登場するオリジナルの論文には、日本語訳が存在していなかったのである。そのため、この比喩の前後や、どんな文脈で登場するのかは、意外なほど知られていない。

 ところが、こうした関心からすると、論文だけを読んだ場合には、一読して期待外れであるという印象をもたれてしまうかもしれない。というのも、本論文で「バザールとクラブ」が登場するのは、最後の二段落と一文に過ぎず、分量としても全体の一割強しかないのである。当該箇所じたいは興味深く読めるものではあるが、何しろ「公/私の区別」という主題それじたい、明示的には最後の四分の一程度でしか論じられていないのだから、肩透かしを感じられてしまうとしても無理はない。
 しかしながら、一読だけではわかりづらいのだが、わたしの考えでは、本論文は、全編を通じて、この「公/私の区別」というローティの論点が散りばめられた論文として読むことができるのである。ただし、それには本論文が置かれている論争の文脈を補い、登場する話題やキーワードについて理解する必要がある。
 以下、見出しを分けながら、本論文の読みどころについて、とくに念頭に置かれている「論争」の解説を中心に説明していく。先にこちらを通して読んでいただいても、論文を読み進める上で、わかりづらいキーワードが出てきた場合に、対応する箇所を読んでいただいても、どちらでも問題ない。ただし、言うまでもないが、これらは多分にわたしの解釈がほどこされている。そのため、とりわけ研究者の方には批判的に読んでいただき、またオリジナルの論文にも当たってほしい。
(本文冒頭より)

著者プロフィール
朱 喜哲(ちゅ・ひちょる)
1985年大阪生まれ。大阪大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。大阪大学社会技術共創研究センター招へい教員ほか。専門はプラグマティズム言語哲学とその思想史。
著書に『〈公正(フェアネス)〉を乗りこなす』、共著に『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる』『世界最先端の研究が教える すごい哲学』『在野研究ビギナーズ』など。共訳に『プラグマティズムはどこから来て、どこへ行くのか』などがある。

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