ひとりでいく(サイン本)
関根愛(著)
「今ここにあるものと、もうここにはないものが、互いの場所から、互いを思い、支えあって生きる。
ひとりでいるときほど、ひとりじゃないと感じる」
南伊豆、尾道、奄美大島、京都、大阪、神戸、博多、うきは、久留米ーーー。
パンデミックが明けはじめたころから、さまざまな土地を歩き、日記を綴った。
巡る心をすみかとして、すべてはかたちを変えてつづいていくと、知った。
【関根愛さんのnoteより引用】
もともと旅日記としてnoteで綴っていたものをまとめ直し、かなり削ぎ落としたり、言葉を揉んだりして、ようやく一冊の本になりました。
冬の終わりごろからずっとこの作業をしていたら、いつのまにか春が終わり、初夏になっていました。
この本が表現しようとしていたことは、「はじめに」と「おわりに」ですべて書かれている(というと長そうですが短いです)ので、改まって綴るべきこともないような気がしてしまうのですが、ひとつだけ補足的に挙げるとするならば、〈観照すること〉を念頭において書いた本です。
旅に似た言葉の「観光」は「光を観る」と書きますが、この「観る」というのは「観照」である、と聞いたことがあります。
観照とは〈内側と外側の両面からものごとをみること〉と私は定義しています。
この身が見知らぬ土地を訪れることは、同時に土地のほうからこの身が訪れられることでもあり、観ることは、観られることでもある。光を観るだけではなく、影に憩うことでもある。
そういうふうに、自分が土地から土地を巡っていたような気がしたので、そこでのことを書くときも、自分が観たものと観られたもの、光であるものとそれを生む影にみえない焦点を置くかたちになりました。
旅先で出会ったさまざまな人たちと、これまでに出会ったもう会うことのない人たちが、その大きな部分を占めています。
そのふたつの人びとはちがうようでいて、おなじで、まさにものごとの両面であり、この先いつでも再会の場に踊りでてくるというよりは、いつも今にある。未来はいつも今のことだから、この先も失くならない。
最終版の原稿ができた日、文中にもでてくるとある人が昔くれた葉書を、急に読みたくなって探していました。
それをもらったのが二十二のときだったので、それから見ることのなかった葉書でした。
パリから出されたその葉書に、シッダールダのことばとしてこう綴られていました。
「過去も未来もここに在るという点で等しい」
今回の本でたったひとつだけ書きたかったことはこれだったんだ、と、目の前を小さな風が吹いていったみたいでした。
お釈迦さまのことばに自分を重ねるのは恐れおお過ぎるのですが、本当にそうだったんだと思っています。
沢山の方々に読んでいただけたら、とても嬉しいです。
装画/挿絵 東 ひかり
ブックデザイン cat 佐藤 翔子
印刷/製本 株式会社イニュニック
2024年5月5日 初版 第一刷
全196ページ