言語学バーリ・トゥード: Round 1 AIは「絶対に押すなよ」を理解できるか
川添 愛 (著)
「読むなよ、絶対に読むなよ! 」
ラッシャー木村の「こんばんは」に、なぜファンはズッコケたのか。ユーミンの名曲を、どうして「恋人はサンタクロース」と勘違いしてしまうのか。身近にある言語学の話題を、ユーモアあふれる巧みな文章で綴る。著者の新たな境地、抱腹絶倒必至! 東京大学出版会創立70周年記念出版。
【目次】
この本を手に取ってくださった皆様へ
1 「こんばんは事件」の謎に迫る
2 AIは「絶対に押すなよ」を理解できるか
3 注文(ちゅうぶん)が多めの謝罪文
4 恋人{は/が}サンタクロース?
5 違う、そうじゃない
6 宇宙人の言葉
7 一般化しすぎる私たち
8 たったひとつの冴えたAnswer
9 本当は怖い「前提」の話
10 チェコ語、始めました
11 あたらしい娯楽を考える
12 ニセ英語の世界
13 ドラゴンという名の現象(フェノメノン)
14 ことば地獄めぐり
15 記憶に残る理由
16 草が生えた瞬間
あとがき
【本書「1 『こんばんは事件』の謎に迫る」より】
昭和のプロレスに少しでも興味のある人なら、「こんばんは事件」について聞いたことがあるだろう。事件が起こったのは1981年。2018年現在参議院議員を務めているアントニオ猪木がトップレスラーとして大活躍していた時代のことだ。当時彼の団体であった新日本プロレスの興業に、二人のレスラーが殴り込んできた。国際プロレスという団体から流れてきた、ラッシャー木村とアニマル浜口である。
ラッシャー木村は当時、「金網デスマッチの鬼」と呼ばれていた強いレスラーだ。余談だが、たけし軍団・ラッシャー板前の芸名の元ネタとなった人物である。アニマル浜口は、若い人には「レスリングの浜口京子選手のお父さん」と言った方が通じるかもしれない。そう、「気合いだー! 」のあの人である。ラッシャー木村もアニマル浜口も当時、国際プロレスで主力選手として活躍していたが、団体が解散となり、新日本プロレスのリングに上がることになったのである。
そうなるまでには舞台裏でさまざまな経緯があっただろうが、新日本プロレスのファンから見れば「外敵による、突然の殴り込み」である。当然ながら、会場は騒然となった。猪木をはじめとする新日本プロレスの選手たちも、神聖なリングに上がった木村と浜口を鬼の形相で睨みつける。そんな中、リングアナから木村にマイクが手渡された。彼が猪木に対して、そして新日本プロレスに対してどんな言葉を吐くのか、皆が固唾を呑んで注目する……。そこで彼が発した第一声が、「こんばんは」だったのである。
それに対する会場のファンの反応は、爆笑だったとか失笑だったとか言われているが、いずれにしても「ズッコケた」という表現で間違いないだろう。ピリピリした一触即発のムードの中で、まさかの「こんばんは」。事件だらけのプロレスの歴史の中でも有名な珍事件の一つであるが、この事件にもかかわらず、ラッシャー木村率いる「国際プロレス軍団」はその後、新日本プロレスにてヒール(悪役)として大活躍する。悪役としての徹底ぶりに、ひどいときには新日本プロレスのファンが木村の自宅に生卵をぶつけるという事件まで発生したが、それに対して木村氏は「仕事だから」と冷静に受け止めていたそうである。木村氏は2010年に亡くなったが、人格者であった彼のエピソードは、彼を慕っていた人びとによって語り継がれている。……
できればここいらできれいに終わりたいところだが、さすがにそれはまずい気がするので、以下の問題を考えてみることにする。それは、
・あの場面でなぜ、ラッシャー木村の「こんばんは」が観客に不適切だと思われたのか
である。「こんばんは」は、夜間に使うという制限はあるものの、「こんにちは」に類するスタンダードな挨拶だ。私たちも普段、人との出会い頭や、話の冒頭でよく使っている。当の木村氏もこの件に関して、「初めてのところへ行ったのだから、きちんと挨拶するのは当たり前」と、実にまともなことをおっしゃっていたという。しかしなぜそれが失笑を買ってしまったのか。
著者について
川添 愛(かわぞえ・あい)
作家。1973 年生まれ。九州大学文学部卒業、同大大学院にて博士号(文学)取得。2008 年津田塾大学女性研究者支援センター特任准教授、2012 年から2016 年まで国立情報学研究所社会共有知研究センター特任准教授。専門は言語学、自然言語処理。著書に『白と黒のとびら』(東京大学出版会、2013 年)、『精霊の箱(上・下)』(東京大学出版会、2016 年)、『自動人形の城』(東京大学出版会、2017 年)、『働きたくないイタチと言葉がわかるロボット』(朝日出版社、2017年)、『コンピュータ、どうやってつくったんですか? 』(東京書籍、2018 年)、『数の女王』(東京書籍、2019 年)、『聖者のかけら』(新潮社、2019 年)、『ヒトの言葉 機械の言葉』(角川新書、2020 年)、『ふだん使いの言語学』(新潮選書、2021年)がある。
出版社 : 東京大学出版会
発売日 : 2021/7/26
言語 : 日本語
単行本 : 224ページ
寸法 : 13.1 x 1.6 x 18.9 cm